読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

攻撃的日記

いい大人になりつつあるので、あせらずにいい加減大人になろうと思います。

文章を書ける人と書けない人の違い。

文章を「書ける人」と「書けない人」の違い

www.huffingtonpost.jp

 

 

ネットサーフィンをしていたら興味深い記事があった。

文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい。

 

文章を書くという仕事は、ゼロを1にする作業だと思われがちだ。

小説や脚本、ゲームシナリオなどの創造的な文章ならばなおさらだ。しかし実際には、文章を書くというのは100を1にする作業だ。文章を書けるかどうかは、このことに気づけるかどうかだと思う。作家にせよ、ジャーナリストにせよ、それこそアルファブロガーに至るまで、きちんとした文章を書ける人はみんなこのことに気づいている。

 

ゼロを1にする作業。これはわかる。

たとえば真っ白な紙に、文章を書けば、0が1になるのだから。

このブログもそうだ。

真っ白な記事を書く画面から、こうやって文章を書くことによって、

0から1になる作業を行っている。

 

 

言葉の持つ情緒面に注目し、細心の注意を払って配列を決めていく。この言葉を、この順番で読めば、読者はきっとこんな感情を抱くはずだ......と、予想しながらキーボードを叩く。文章を書くのは、読者の脳をプログラミングする作業だ。他人の書いたコードを研究しないプログラマはいない。他人の書いた文章を学ばずして、文章を書くのは不可能だ。

文章屋が仕事をしてるのは、キーボードを叩いてる時だけではない。

まず情報を集める段階がある。つぎに、集めた情報を組み合わせたり取捨選択したり......知識と格闘する段階がある。それから、情報をどのような順序で見せるか、文章の配列を決める段階があって、さらに文章の枝葉まである程度固めて......そこでようやく、キーボードに向かうことができる。文章屋がペンを握ったときには、もう作業の8割がたは終わっている。実際にキーボードを叩くのは、「文章を書く」という工程全体の5%ほどだ。

では、残りの15%は?:推敲と校正だ。

文章屋の仕事は、たぶん、そうでない人からすれば魔法のように見えるのだろう。キーボードをよどみなく叩いて、真っ白なページのうえに言葉を紡いでいく。「ゼロを1にする作業」だと思われて当然だ。しかし実際には、文章を書くのは「100を1にする作業」なのだ。

 

ふむふむ。なるほど。

これは、ブログにも当てはまるのではないかと考えられる。

 

情報を収集しないことには、記事は書けない。

思いつき出かける技術があったら自分も見習いたいぐらいだ。

そして推敲と校正を行うことで、相手に読みや文章を書くように努力する。

             

これは今後の自分がブログを運営する上で、大事記事であった。

広告を非表示にする